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2006年9月 5日 (火)

とても悲しかったこと

 本格的に忙しくなってまいりました。

 そんなさなか。

 人生で二度目の死に直面しました。

 一番最初は2年半ほどまえ、平成16年1月30日。17年半、自分が生まれてから半分以上をともに過ごしてきた、まさに家族の一員だった柴犬を亡くしました。老犬で、目もほとんど見えなくて、完全に老衰だったのだと思いますが、寒いある日、突然立てなくなり、動けなくなり、大きなタオルや毛布でくるんで、カイロや湯たんぽで温めて、外で飼っていた犬でしたが部屋の中に入れて、必死に介抱しましたが、仕事の付き合いで外に出ている間に死んでしまいました。今でもそのことを思うと泣けてくるくらい、本当に悲しかったのです。小さい頃から本当にかわいい子でした。成犬になったばかりの頃は、力も強くて憎らしいくらい元気だったのですが、年をとるにつれて歩き方がゆっくりになり、散歩のときに紐を放してしまえば、くるりと後ろを振り返って
「いいの?紐が落ちちゃったよ?」
というかのように、大きな目でこちらを見つめてくるような、よくできた子でした。

 そして9月1日に、初めて身内の人を亡くしました。亡くなったのは父方の祖父で、誰からも慕われ、その子どもである父の口からも、「おじいさんは本当にいい人だ」という言葉しか聞いたことがなく、誰かから恨まれたり嫌われたりすることとは、全く縁のないような人でした。大正生まれの人で、戦争にも行ったそうですが、「人を殺したことはあるの?」という質問には「殺せるわけないやろ、そんなの」と笑って言っていたといいます。じゃあ、何をやっていたのかというと、何でも食事の担当兵で、パンを焼いていたとか何とかで、戦時中に太ったという珍しい人でした。

 自分の記憶にある祖父は、小柄でいつも笑っていて、口癖が「おぉ、そぅかそぅか」。祖父の家に行けば、必ず「おぉ、よぅ来たよぅ来た」と満面の笑顔で出迎えてくれて、動物が大好きで怪我をした鳩や捨てられた犬を拾ってきては、大事にかわいがってかわいがって、かわいがりすぎて糖尿病にしてしまったりもして、何気に早くに亡くしてしまってものすごく寂しがっていたりとか、そんな優しいおじいちゃんでした。

 そんな祖父が、2年ほど前から認知症を発症しはじめ、ふらふら出歩いて怪我をしては病院に入院、帰って来たと思ったら転んで骨を折って入院、という状態になり、入院して動けない間にたちまち足が衰弱していきました。車椅子から寝たきりになるまで、それほど時間は掛かりませんでした。認知症のこともあって、あまり動き回れても困るし、かといって骨折も直ったし、ということで家に帰って来たのはいいけれど、今度は眠りから醒めなくなってしまい、再び緊急入院することになりました。弱った身体は日和見感染で感染症にかかっていたそうです。それからはほとんど眠ったままで、目を開くこともほとんどなく、言葉を発することもほとんどなく、食事をとることもできず、鼻からチューブで薬や食事を流し込むという状態でした。

 そして、骨折した日から十一ヶ月。父や伯父ら、息子や娘たちに見守られて、祖父は亡くなりました。自分は人の死に立ち会ったことはまだないのですが、本当に安らかに、呼吸がだんだん細くなっていって、静かに、本当に自然に、息を引き取ったそうです。またもや自分は仕事をしていました。仕事の最中にその連絡を受けて、「そうか、ついに」と思いました。2週間前には「あと1週間の命です」と医者から宣告されていたので、その倍生きた祖父は、本当に頑張って生きてくれたのだと思います。
 前回ミュージカルテニスの王子様のことを書きましたが、実はその公演の日がまさに「1週間の命」の一週間目に当たる日だったので、もう行けないかもしれないと覚悟していました。けれど、そのときは肺炎を患いながらも小康状態をずっと保っていて、死を感じさせることはなかったのです。
 さらに、九月に入って、大きな仕事を任され、平日はもう一日たりとも休むことができない状態にあって、その仕事が終わる10月2日までは何とかもって欲しい、と願っていたのですが、さすがにそれはムシが良すぎで、いつ亡くなってもおかしくない状態だと連絡が入ったのはそのまさに9月1日の午前3時ごろでした。それでも父が駆けつけたときは、それなりにある程度の状態を保っていたので、仕事を持つ面々はその責務を果たしに向かったのです。そして、午前11時丁度に、祖父は亡くなりました。土日に友引はなく、通夜、告別式ともに土日に済ませることができてしまったので、自分は仕事を休むことなく、計画を狂わせることなく、仕事に復帰することができたのです。

 どこまでも優しい祖父でした。祖父がそう思って金曜日の午前中に亡くなったとか、そんなことはありえないと思うのですが、それでも最後まで人を思うじいちゃんらしい、と思う気持ちは禁じえません。

 通夜も告別式も葬儀場で行われたため、通夜の日の午後4時ごろ、出棺しました。祖父がかわいがっていたミニチュアダックスが、悲痛な声でひっきりなしに「くぅーくぅー」と鳴いていました。普段、小さな従兄弟の子どもにどんなにいじめられても絶対に声を出さないような犬なのです。それが、必死に鳴くのは、かわいがってくれた御主人がいなくなってしまうと知っているのだろうか、と思わずにいられませんでした。もうずっと入院していていなかったはずなのに。自分たちが出て行くまで、彼はずっと鳴き続けていました。

 告別式で、最後に棺にたくさんの花を添えました。じいちゃんの顔以外、全部花で埋まってしまうくらい、みんなで花を入れました。みんな泣きました。祖父にとってはひ孫に当たる子が三人いました。小学生の二人は泣きませんでした。4歳になったばかりの一番小さな子は、一番祖父に面倒を見てもらっていた子でした。離れて暮らしてはいるけれど、よく家にきていた子でした。その子は「じいちゃーん、じいちゃーん」と泣きじゃくりました。その姿を見て、みんなまた泣きました。

 アルバムを見ながら、みんなで祖父の思い出を話し、本当にもういないのだと実感したりしなかったり。けれど、死というものは本当に大きなものだということは、実感しました。思い出せばやはり泣けてきます。いきとし生けるものは必ずいつかは死を迎えるのですが、残されるものは、その生が優しければ優しいほどつらいものですね。

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